山本義隆『私の1960年代』(金曜日、2015)

私の1960年代

私の1960年代

 本書には政治、経済、社会、科学、学者、マスコミ、自分自身の人生等の話が書かれてある。
 読んだ私にとっては本書はあまりにも多くの内容を含む。文体は読みやすい。が、各分野の話には自分の具体的な体験談なり実の感想なりが織り込まれている。無論、その中にはその話題の当事者だったからこそ書かれているようなものもある。そのため、真相なのかはさておき、自分には聞いたことはあったはずでもほぼ知らない印象を受ける話が多くあった。よって、本書内容を理解するためには何度か読み返す必要がある。
 また、読者がどういう知識を持っているかにより、この本の記述内容で注目するところが変わるように思う。はてなダイアリーで私のように感想を書いている他人のそれを私が見ても、やはりアングルが違う捉えられ方をされている。だから、この本は読まないと内容が分からない。ネットに本書で書かれているものに関しては、少なくとも目次は正確です、とだけは言えるが。
 なお、本書の作られ方について、参考文献の引用は丁寧になされている。こういう逐一、微細な所も気を配って内容が記されていることにも驚かされた。 
 さて、以上とはあまり関係ないが、胸をすくような思いがあった個所を引用しておく。場面は、山本氏が大学紛争後に逮捕されて、そして保釈された後のところである。
 
 「保釈になってしばらくして、なにかの機会に廣松さん(注意。「廣松渉」のこと)にお会いしたときに、山本君、あなたは立場上、今後いつまでも注目され、いろんな人からいろんなことを言われ、大変でしょうけれど、ひとつだけお願いしたいのは、評論家のようなものにはならないでください、というようなことを言われました。……後で、廣松さんのあの忠告は、まともに学問をやりなさいという意味ではなかったのかと考え直しました。私にこんなふうな忠告をしてくださったのは、廣松さん一人ですが、現在それを非常に有難く思っています。」

 月並みな言い方だが、確かに腐らなかった。