ハワイ・オアフ島旅行

 米国ハワイ・オアフ島を訪問した。
 これが自分にとっては人生で4度目の海外旅行となるのだが、私は観光地として知られているところにはどの旅でもあまり行かない。むしろ、その地域土着の慣習やら風俗やら物の使い方など、現に生きている当該地域の人間の精神の現れが感じ取られているものの方にはるかに関心が向く。要するに、現地の人々の日常生活の方が気になるってことだ。ただし、今回は家族と共に旅立ったために(全員日本人)、自分の気を家族の方にとられ、また家族の意向で観光地へよく行ったために、自分の関心はややなおざりになってしまった。それでも、色々と気がついたことがあった点があり、それを以下に記しておく。

 
1.チャイナエアライン
 これで成田・ホノルル間を往復した。この会社のフライト・アテンダント(スチュワーデス)の格好は実力以上に着ている人を美しく見せるように思えた。かつて同じ米国の全く違う地方に行くために乗ったアメリカン航空アテンダントは力士志望者かと思わせるような堂々たる体躯揃いであったが、今回初めて海外航空会社でよかったと思った。
 フライト必要時間は片道で6時間ほどであり、意外に近いと思った。2度の機内食もまあ美味しかった。

 
2.ホノルル国際空港
 降りてからまず、この空港のベンチやエスカレーターなどが気になった。ガタガタと揺れるのである。そして、これは後述のホテルのエレベーターでも当てはまる。しかもこのエレベーターにいたっては乗降口に少し気になる段差があった。
 果たしてどのメーカーかと見つけようと試みたが不明なままであった。これらのガタガタは日本で暮らしているとありえない感覚ではあったと思う。
 話は変わるが、1年間の内日本人があまり来ないこの時期においても1日当たり約5000人もの日本人が来るという。これは現地日本語新聞サンに拠る。


3.ホテル
 滞在先はハイアットリージェンシーワイキキ(Hyatt Regency Waikiki)。フロントに日本人の日本語対応スタッフは居ることは居るが、大勢の日本人宿泊客に対しては多勢に無勢であり、対応が手間取っていたようだった。
 ハワイ渡航の事前にこのホテルのエレベーターは来るのが遅いという書き込みをネットのどこかで見ていたが、東京のデパートの混雑時のエレベーター到着時間に比べたらたいしたものではなかった。
 部屋の設備は
・エアコン最大設定温度が24℃まで(寒いからよくoffにした)
ティーカップ一杯分、約180mLのお湯の湯沸かし器が、サイドボードの引出中にある。注水後、電源をonにしたら、すぐに熱湯が滴り落ちてきた。ハワイではホットドリンクなどどこにも売られていない感じであり、この湯沸かし器がなかったらコールドドリンクしか飲めない環境にあった。日本で緑茶を飲む習慣がある自分としては急須とお茶の葉、そして顆粒でお湯に溶かして飲むようなインスタント飲料および味噌汁を持っていって正解であったと思う。
・一応、用意されているコップとしてはグラス2個と日本のファストフード店で出てくるような紙コップ2個があった。ただ前述のお茶や味噌汁を飲むために箸と陶器製食器を割れないようにして、また食器洗浄のためのスポンジと洗剤を持っていった。
・水道水は直ちに飲める。ミネラル・ウォーターは不必要だが、部屋の中にあった冷蔵庫内に1日2本まで無料サービスでおかれる。


4.床屋
 成田空港で久しぶりに会った家族から、自分の風貌が浮浪者のようだなど、ハワイで床屋へ行けなどと強く言われたために、また自分でも切り時かもと思ったために、ホテルに荷物を預けた後に最初に行ったことは床屋探しとなった。
 といっても、海外で床屋?
 ホテル前の道を何となく歩いてみたが皆無だったためにフロントで訊くと、隣接したホテル、シェラトン・プリンセス・カイウラニ Sheraton Princess Kaiulani 内にあるという。
 それで行ってみると、そこには沖縄県で生まれ育って今はハワイで暮らしているというおばさんが居た。$45で、髭剃りなし(何でないのか訊くと、血液を媒介とした病気の感染を防ぐためと言う。なるほどと思った)。日本でもこんなもんだと思ったので二つ返事で頼むことにした。
 日本語で注文内容は完璧に理解してくれるため、髭剃りの点を除けば全く日本でのサービスと変わりは感じられなかった。
 なお、切ってもらっている間にいろいろと日本のことやら話をした。
 尖閣諸島問題の話では、もしも米国が日本の立場だったら中国を攻撃するのになあと残念がっていた。そして石原慎太郎氏の言動を良いように言ってきた。しかし私としては現在の中国と日本が本当に武力衝突するのは双方多大な死傷者と損害が出るだけでしかないこと、また石原氏は別に海上保安庁やら自衛隊やらの指揮官では全くないため、いざ武力衝突するとなったら責任を取れるような人物では全くない、今回の状況で政府により尖閣諸島が国有化されたのはヨリ少ない悪をとった日本政府の良策であったことを言ったら、おばさんは納得していたようだった。
 おばさんには言わなかったが、あの今年81歳の老人が端緒となった行動がもたらしたものは、中国本土での多大な日本資産の損害、伝統的に政府不信の中国国民がまとまった方に向いて中共に忠実的になるイデオロギーの再提供、日中双方の不信をほくそ笑む米国への利益提供というように、日本の不利益ばかりではなかったかと思う。また、アメリカ人が過去に戦争をしてきたところは、たいてい本土から遠く離れたところでである。たとえ「国内」であっても後述の真珠湾攻撃に対する応戦ぐらいで、それは本土から遠く離れた出来事である。この国の中にいれば、気楽に開戦を唱えても確かにいいように思う。しかし人口密集地が国内に多い日本や中国同士が本当に戦争をするとなるとそうはいかないだろう。
 また、この床屋内に置かれていたテレビでちょうどアメリカ大統領選特集が放送されていたためにどちらの方がいいか聞かれた。私としてはロムニーのような密かに人種差別者 racist であるような人間を選ぶべきでない、またメディケアやメディケイドぐらいしかなかった状況を変えたオバマを選ぶべきだ、またこの国の大統領がどちらになったとしても真の意思決定者たるパワーエリートが隠然としていると、やや質問趣旨から外れたことを追加して言った。


5.Food Pantry, ABC Store
 レストランに入って食事をするとなると高い。デフレーションで飲食代が値下げ傾向に長年あることに慣れきっていた者としては久しぶりに食事代が高いなぁと思った。しかも料理の代金に加え、消費税とチップまで払わないといけない。
 たまたま、Food Pantryというスーパーマーケットをホテル近くで見つけたため滞在後半からそこで買い物をよくした。品物の並べ方は日本のスーパーによく似ていたが、見慣れない食材は気になった。やたらと大きい冷凍ピザ、アイスクリーム、肉など、買う気にはならないがその存在だけで面白いものが多かった。ただ、果物は日本に比べそこそこ安かったために好んで買って食べてみた。生活必需品も置かれていたから、困ったらこの店に行ってみるといいかも。
 次、ABC Store。雑貨屋さん。お菓子や飲み物のほか、水着、服、海で遊べるような道具などいろいろと置かれてある。日本のコンビニエンスストアのような存在であった。しかも街路にいくつも支店がある。
 私はここの店で水着や浮き輪など買ったのだが、日本で買うのに比べて安いものが多かったと思う。日本語も通じやすい。

 
6.真珠湾見学
 結構高いが、大人一人$80でツアーに参加できた。私は父と参加したのだが、ホテルでマイクロ・バスが迎えに来て乗車してみると日本人は自分と父だけであった。他はすべて連合国の人間であった。
 真珠湾に着くまで、バスドライバーは色々と冗談を交えた話を乗客にしていたが、英語があまり聞き取れなかった。周りはゲラゲラと笑ったりドライバーに質問したりしているようだったが、こちらはとてもそうはいかなかった。しかしこのドライバーが F.Roosevelt による議会での対日開戦宣言を読み上げているときは聞き漏らすまいと努めた。
 真珠湾に到着。このバスからだけでなく、色々なところからのツアーリストで混んでいた。そういえばこの日の前日に予約するときも時間帯を選べなかったし、結構人気のあるようではある。ただし、他の観光地と違い、ここでは日本人はほとんどいなかった。「ハワイ」と聞くと日本人がたくさん来る外国というのは事実だと思うが(実際、今の時期で毎日約5000人の日本人がホノルル国際空港で入国してくる)、ここで見かけた日本人は私と父を除けば5人ぐらいであった。
 現地では visitor center 、アリゾナ記念館、戦艦ミズーリ号試乗というコースで回った。
 visitor center では太平洋戦争開戦前の国際政治の状況から奇襲に至るまでの当時の文書やら物品やら遺品やらラジオ放送の音声やらが展示されていた。
 そこを巡ったら最後に、30分間ほどの映画を劇場で見た。放送内容は開戦前の日米の状況から真珠湾奇襲、そして F.Roosevelt の開戦演説までが時系列でまとめられていた。ただし、演出などは明らかに日本が怖い存在であり、その日本がのんびりしたハワイを襲ってきたというまとめられ方であった。ちゃちな作りであったと思う。
 劇場を出ると、アリゾナ記念館へ船で向かった。「アリゾナ」というのは当時、奇襲を受けて沈められた米国の戦艦のひとつという。そしてその「アリゾナ記念館」というのは、この沈んだ「アリゾナ」のちょうど船体上に作られている、犠牲者の墓標であった。
 再び船で元のところへ戻り、先ほどのマイクロ・バスで再び移動すると、今度は戦艦ミズーリに乗ることとなった。
 ミズーリ?どこかで聞いたことあるような……。確か、太平洋戦争で日本の重光葵が降伏文書に調印した舞台であった米国軍艦だったはず。
 実際、自分の記憶は正解であった。このミズーリ号は太平洋戦争末期に作られた戦艦であった。当然、戦争で使われた。ただ自分は知らなかったのだが一度だけ日本軍から特攻を受けた。しかも戦後長年使われなかったが、あの対イラク湾岸戦争(1990−1991)でもレストアされて用いられたと言う。
 この特攻の一部始終を言うと、レーダーに反応しないよう低空飛行していた零戦が近づいているのを視認した米軍兵士が掃射銃で応戦し、ミズーリ号近くで空中分解したがその一部が甲板に激突して甲板が炎上したというものであった。ただし、3分で鎮火。その際、この零戦操縦者の上半身のみも甲板に飛び込んできたそうで、当初米軍はこの上半身をゴミとして零戦残骸と共に捨てようとしたが、艦長命令により翌日、水葬にされたと言う。一応、甲板脇の鉄製の手すりに、当時の特攻によるへこみ傷跡が言われないと気がつかない形で残っていた。
 さて、この戦艦の中では色々と内部を探検できる。軍艦なるもは初めて探索したが、内部に食堂やら図書館やら郵便局があることを知った。しかも上官の私室や応接室などは明らかに優雅。もちろん攻撃設備もあるわけだが、軍艦にこのような余裕、しかも当時の戦争中にあったとは知らなかった。当時の日本海軍に果たしてあったとは思えない。
 なお、この戦艦見学は現役米国海軍兵が案内役を務めてくれるのだが、美しい日本語を話す Kuniko さんという日系米国人女性兵士に私と父は案内してもらった。

7.ストリートガール
 夜に一人でホテル近くの街路を歩いていたら、ボディコンを着ていて、声をかけてくる現地の白人や黒人が何人もいた。映画『プリティ・ウーマン』のジュリア・ロバーツの役を連想すれば、すぐに何の輩かピンと来た。
 はじめに思ったのは、見たところ誰しも20代で、自らを素性の知れない外国人に対して売り込む度胸があるのには感服した。振り払っても追いかけてきて「ガクセイワリビキ!」とどこで覚えたのかと思う日本語で言ってきたのもいて面白かった。
 向こうもひっかけられずに暇そうなため、こちらから言って色々と話をしてみることにした。といっても、名前や出身、職業は何か、日本人・韓国人・中国人の見分けがつくかななどといったありふれたネタだったが。東洋人では醸しだせなさそうな雰囲気と誰しも明るいのが印象に残った。これは今回の旅行で現地の人と話す数少ない機会のひとつとなった。


8.その他
 ワイキキビーチの海は結構、波が荒かった。外洋に対してコンクリートと岩の防波堤で消波し、そのため砂が体積して波が穏やかなところでは小魚の群れが泳いでいるのが容易に見えました。しかしその他の所は底が砂ではなく、死んだ珊瑚のようなものでできており、結構素足だと痛いのではないかと思います。ビーチ自体も日本のような砂浜ではなく、死んだ珊瑚が細かく砕けたものが堆積して出来た感じでした。ビーチサンダルはビーチ上でも海の中でも履いていたほうが良かったと思う。


9.その他2
 現在、米国は世界最大の対外債務国であり、GDPは日本の3倍である。しかし、日本よりもはるかに大きな面積をもつ多種多様な地形の国土を目の当りにすると、米国国土の一部ぐらい物納で債務の返済に充てても良いような気がした。また、この国土をもってしてGDPがこれだけしか生み出せないのかとも思った。