ある先生の脳梗塞

 今日、久しぶりに他人が話す数学の授業を受けた。

 実にいい加減なもんだった。あなた、20年間ほどもよくそんな感覚しかもっていないのに飯を食べていけてきましたね、という感じさえあった。いちいちこちらから間違いを正すのも面倒なので、ボーっと聞いていることにした。話のネタは知っているものだったし、あんな授業はボケッとしている方が健全であった。

 この話し手は工学部出身と言っていた。
 私がいつも気になるのは、理学部以外の出身者の言葉の使い方である。専門用語の定義が命取りなどになると夢にも思わないのかな、と思う人をこの学部出身者によく見かけるのである。用語の定義があやふやなもんだから、それを使った理論は何一つ出来ないように感じてしまう。そういうわけで、話し手が偽者に見えてならなかった。
 ちなみに法学部の法律学科にいて初めてこういう態度の必要性を痛切に感じたのだが、後に数学の勉強をするようになってからは法学部法律学科でいうところの「定義をちゃんと抑えろ」という態度には不徹底なところが多分にあるように感じられてきた。それは例えば、新しい定義をする際、さらにまた新たなる用語を持って定義する悪癖に見て取れる。最高裁判例など、私は読む度に意味不明な語句を使われるものだからよく読めずに困っていた。一方、数学では必ず旧知の用語を使って説明される。

 でもまあ、自分にとってそんなことは今に始まった話ではなかった。そんなことよりも、『こんな「先生」もいるんだな』と落胆した気分を紛らわそうと、少し肌寒くなってきた夜風に吹かれながら家路をたどった。その際、自分にとって未だ、少なくとも数学の先生といえるのはこの方だったな、と思う先生がかつて作られた塾が入居していたビルを横切った。
 何となく、足を止めてビルの中に入った。そして、そのビルに入居している会社名リストが入り口付近にかかっているのを見て、ふと、自分が先生に初めて会いに行ったときも同じような動作をしていたのだろうと思った。無論、現在ではその塾の名前が掲げられているはずもなかったのだけれど。ただ、あってくれとかすかに思ってはいた。

 先生は数学を教えてくれるに留まらなかった。「自分の頭で考える」というのが数学においてに限らずどういう行動をとるのか、身をもって示してくださったと思う。私など、お会いする前に「自分は少しは自分の頭で考えているところはある」などと思っていたが、そんなのは甘い自惚れ以外の何物でもなかった。過激な言動にさえ時に見え、しかもそれが煩わしく感じられたことがあったのは正直なところだが、特に理論系の学問で考えるというのがどういうことをやるのか、そのやり方、いや生き方には凛としたものがあった。

 そんな先生だが、今から1年ほど前に突然、脳梗塞でご自宅で倒られてしまった。一人暮らしの先生はかろうじて親族に連絡を取られ、即入院。しかし塾は解散。程なくして塾直通電話も回線契約撤回。命は取り留められたものの、あのような自分の頭だけで食べてきた人間にとって脳梗塞は致命傷だ。
 私がその話を知ったとき、先生が死んでしまったようにさえ思った。後にそういう感情は消えたが、先生がもう数学を出来ないのか、今なお気の毒でならない。

 ふと、今の自分の状況に対して、先生をすがるような自分に対して今ここに先生がいたら、「プロは自分で這い上がるものだよ」と言われるような気がした。ただ、やはり先生はいつまでも「先生」と呼びたい、この先生の下で勉強したい。そんな存在であった。