ある問題

 少し前、ある国の首相が、その国の憲法学者達の名前を知らなかったというニュースが流れていた。
 あの首相の答弁の印象は知らない振りをしているだけなのかもしれないというものだった。しかし、ここでは本当に知らなかったと仮定して話を進めよう。
 あの挙げられていた憲法学者達の名前は、いずれも、法学部に入学したら法解釈を勉強する際、誰がどのような問題意識を基にして解釈を既にしているのかという疑問があったら知ることになるようなものばかりであった。確かに、巷ではそんな学者は知られていないと思うが。
 あのニュースでは、首相に対して質問者が名前をひけらかしているだけのような光景であったが、あのシーンだけからだと受けられるような質問者の権威主義的性格は私にはどうでもよかった。むしろ、首相が自分で法的問題と思うものをどういう頭で法的に解決しようとしているのかという意識がなかったり、あるいは人任せにしていたりすること。その上、自分が行政組織の長としてある仕事を任せた相手がその学者の一人であることに気がついていなかったことから組織の管理が首相によってなされていないということにショックを受けた。
 残念ながら、私にはこういう経験は初めてではない。ちょっと前にも、自分が関わったある制度がどのように運営されているかという事実に対して、最近有名になってきた政党の偉い人が、その制度をよく知らず、おそらく自分で調べず、制度名だけから響くよい印象からその制度に従うことを他人に推奨していたことに呆れたからであった。
 要するに、あの首相の「知らない」という話にせよこの偉い人にせよ、自分の所属する組織の統治に穴があるという感じがするのだ。無論、こういう状況は最近になって生まれたものではないと思うし、そういうことを問題視する学問分野さえ昔からある。その手の本を読んだこともあったが、人事のように見なしていたと今になって思う。改めて自分が具体的に関わって知りうる範囲でそういうことを目の当りにすると、やはりこの古典的な問題が自分にも重大な話のように確かに感じられはした。