聞いていただけで疲れた話

 今日、ある高校生の自身の進路についての話を聞かせられた。

 と言っても、聞きたくて聞いたのではない。私のすぐ横でそういう話をそいつが別人相手に突然言い出したものだから聞いていたわけだ。
 聞いていただけであったが、これが実に聞いていただけで疲れさせられるものであった。
 話が飛びとびに移っていくものだから、果たして何を言いたかったかがよく分からなかった。そいつは藪から棒に出てくる感じのことを矢継ぎ早に言っていた。聞かされていた相手は混乱していたし、おそらくあの話を聞かせられていた自分を含めた周囲の連中は閉口させられていたと思う。ただし、私には、そいつが自分の母親のことを「ママ」と言い、「ママがね、○○と言うの」という言い回しを多用して主張の理屈付けをしていたこと、そして相手に自分の話が伝わらない様子を見て取ると「あれ?」と言って笑って取り繕う馬鹿面は印象に残った。

 あの静かな環境の中でそいつの話を聞かされていると、本当に気分が悪くなったので、私は早退させてもらった。

 さてこれを書いている今、ふと、以前に自分の先生がまだ先生でいらっしゃったとき、日本語の出来ない人は親が代弁してしまうから言語能力未熟なんでしょうねと言っていたことを思い出した。その代表例のような人間を目の当りにした今日、私もこの意見には同感である。
 今日のような人間なのかサルなのか分からない存在に対して本当に人間化するのであれば、手っ取り早い方法としては、自分の主張を自分で異なる年代の人に説明してみるのがいい気がする。無論、相手の忍耐力が必要になってくるのだが。