狼狽時の対応とネズミ講の困難さについて

 いやー、暑い。梅雨からいきなり真夏にガラリとチェンジした感じですね。北海道に住んでいたときはこういうのがなかったんだけれど。

1. さて、狼狽時の対応。
 先日、あるトラブルが仕事中に突発的にあった。
 ある程度、仮想された状態に対して対応を想定しておけば、心理的には落ち着きますね。
 ただし、働いている人の中にはそういう状況に慌てふためくだけでしかない人もいた。しかも、長年働いているかは関係なかった。
 そういう例外状況にどう対処できるか?
 考えてみれば、「平常」においてすら、細かく見ればどれ一つとして同じパタンが続くのではない。よくよく考えれば、優先順位を平常時にも立てる必要がある。いちから。
 いわんや、例外状況においては優先順位を根本から立て直す必要があるわけで、そういう習慣の持ち主であればそれに伴う心理的負担はもっていない人に比べたら少ない気がしました。


2.ネズミ講について
 先日、ある知り合いのSさんから「3人紹介できればいいのだ」ということを皮切りに、ある商品の勧誘を受けました。このSさん自身がこのとき既に勧誘者でした。さらに、お金を今回は特別にS自身が負担するから僕が買ったことにしてくれないかというものでした。
 さて、このSさんの勧誘はネズミ講です。Sさんは僕への勧誘時、どうも切羽詰った印象でした。しかも、今日の午後12時までのタイムリミットがあるんだと理由をつけて、夜中の午後11時近くから12時近くまで何度も電話をしつこくかけてきました。
 僕はこのネズミ講は結局、翌朝に断りました。

 そして後日、僕は何気なく、3の累乗を計算する機会がありました。「3」という数値からこのSさんのネズミ講のことを何となく思い出し、この勧誘の成功確率を考えて見る気になりました。
 すると、3の17乗で約1億2千万、つまり、日本総人口に達するわけです。だから、3人紹介して成功できていっても高々、日本国内では17回しか繰り返せないということになります。
 具体的な確率を考えるまでもなく、この結果より自分自身、意外に早く成功しえなくなることに驚きました。ネズミ講主催者は分かっているかもしれませんが、それを知る知らないに関係なく、この主催者は結構、悪徳であり、この細胞になって動くやつは愚かだなと思った次第です。
 Sさんは18歳ごろ、東大文系を落ち、その後某義塾とその大学院に入っていきましたが、僕が初めて会ったときには日ごろより国家論か何かの類の歴史書を読んでいるような人でした。歴史を勉強することの価値を僕は認めますが、それだけだと片手落ちだとも考えています。未来におけるある試行の困難さがどれだけなのかということを示す学問も必要だと思うのです。