理屈

 法学部生だったときよく思ったのは、随分と理屈の通じる先生が多いということだった。反面、最高裁判例などには牽強付会でしかない、理屈が通じているのかという疑問を持った。

 この感覚は未だに持っているが、最近思ったことは、こういう理屈が通じないのが世の多数ということだ。すなわち、理屈が通じる方が世の中では稀なのだと思う。ただし、そういう状況にあきらめることなくやっていくべきだというのも大切だと知った。

 そういえば今、参議院選挙が迫っているためか、ある2政党の候補者が自宅前を通り過ぎていった。いずれも、自分が推薦する政党名を連呼していた。「自分が推してくれるのは○○党だから、自分には投票価値がある」という理由付けをしているのだと思う。
 それが自分には論理の飛躍に見える。
 比例代表制度はその飛躍を許容している、いや積極的に価値を認めるように思う。政治家個々人が権威に頼らず自分で考えよ、という理想を僕は持っているからこんな制度は悪しきものに見える。本来ならば何かしらの目的のために党派は当初組まれるのだが、後に状況が変わってもその党派の維持が優先される。そして、選挙においてはその政党名を前面に出してくる候補者も出てくる。こういうのは僕はやはり良くないと思うが、それで安心する人間がいるのも経験的事実なのだと思う。
 とはいえ、そういう状況にあきらめることなくやっていくべきだとまた思った。