民意を問う

 大阪市長が辞任するという。
 大阪都構想の民意を問うから辞職するというが、この構想に無関係に、このやり方は何なのか未だ良くわからない。
 民意の問い方とは最後には、所詮、候補者の名前のみを理由を付さずに書くしか出来ないやり方である。その形式だと、投票者はよく考えているのか不明だし、そもそも他の理由が良いから名前を書いたためでありうる可能性もある。単一論点に絞って選挙が行われるにしても、論点中に意味不明な言葉が使われているのならば、少なくともその論点を熟慮するには支障が出る。
 また、たとえ単一論点で臨んだとしても、政治はその問題のみを扱うわけではない。他の問題はどうするのか。それを隠すのは不誠実であると思う。有権者たる大人ならば誰しも、様々な問題が混在、関係しあい、数多くあるのを自分が所属している身近な社会にあるのが身に染みてわかっているはずだからだ。例えば、郵政民営化の是非を絞ったといわれる国政選挙があったが、後から他の、当時は聞いたことのない政策が出てきた。しかし、繰り返すが、社会には問題群があるのが現実なのだ。単一論点に絞りきれるはずがないのだ。政治がそういう問題群の解決を本質とするならば、そういうことをする政治家はその本質にそぐわない。
 また、大阪都構想反対者が選挙を通じて選ばれし者である場合、その期待を担われた人物の意見を無視、排除するのはどうなのか。無論、今まで書いたようにそういう人物に期待する民意とは何なのか疑問にあるのだが、仮にもその代表ではある。間接民主制にも良い店悪い点あるのだろうが、意見集約が全くなされていないわけではなく、その代表の意見を無視するというのは間接民主制を基本とする考え方に反しうるのではないか。