ネパール人

 再び、ネパールのことについて書く。今回は彼らのメンタリティについて気がついた点を思いつくまま書いていく。

・ 率直に申し上げて、根性が足りない。
・ 人文学的知識が乏しいのではないか。デカルトを誰に聞いても知らなかった。その写真も提示したが同様であった。
・ 日本人のそれに比べ、工学技術者ではないネパール人の自然科学および工学知識の偏差が大きいかもしれない。
・ 「頭のよい」という感じのする者はいる。しかしその才能が発露されるのは、「いかに手を抜くか」という面でのときである。自分の上官の見えないところでは品質を犠牲にしても良いという気質がある。「自分との戦い」という類の戒めの言葉はかの国にはないのではないか。堂々と、品質を犠牲にした手を抜くことを自慢する者までいる。 
・ 盗む。耐乏生活に不満をすぐに抱く。
・ 来日してアルバイト等をすることで小金が定期的に入るようになると、それで満足してしまう。彼ら彼女らにハングリー精神はない。
・ 語学は、必要に迫られてやっている。それはネパールという国がネパール語のみでの経済だと、ますます貧困に陥るからである。
・ その外国語によって発想を練る、概念を作り出すという点はない。英語のような外国語は使えるが、その源は必ず、英国や米国に依存している。
 大学の教科書はすべて英語で書かれたものを使用していて、かつ講義はネパール語で行われると聞いた。文明を理解する、科学技術を使うとなると、同国からのものではなく舶来のものからであるのである。
・ 国柄といい、国民性といい、日本が見るべき点はない。中国とインドとに挟まれ、ネパールはそれらの国の一部ではないという意味での政治的ナショナリズムはあるのだろう。とはいえ、精神的独立、経済的独立、はたまたそれらを支える古典的な主張はあるのか。米国のフランクリン、日本の福沢諭吉中華民国孫文というような提唱者はいるのか。ネパールとは国際法上独立しているだけの国である。傀儡国家とは言いすぎだが、何かの傀儡になりたがっているような印象がある。

 今後、「なぜ、ネパールは貧乏国なのか、それは不可避的な気がするがそれはなぜなのか」について考えをめぐらすことにする。