ネパール感想

 私は偶々現在、ネパール人とともに働く機会が日常的にある。先日の地震のはるか前からそうであった。以来、時々ネパールについて自分で調べたり彼彼女らに聞いたりしたことを貯めてきた。それにより思ってきたことを、ここでは記しておくことにする。

1.
 地震被災地の写真の多くがカトマンドゥで撮影されたものだろう。ところで、その写真に写っている人々の多くは同一人種の顔立ちをしている。南アジアのことをよく知らない日本人から見れば、この人々はインド人のように見えるだろう。
 ところが私の知るネパール人の中には、そういう顔立ちの人でない人もいる。その人は、むしろ日本人的な顔立ちである。ネパール近隣国にブータンという国があるが、あの国民のように彼彼女らは見える。
 したがって異民族がネパールには同居している。しかも、国内には100ほどの民族があると聞く。
 さて、その写真には、しかし「日本人的な顔立ち」の人々は写っていない。その点を私の知り合いのネパール人に聞くと、最近まではカトマンドゥにこの手の顔立ちの人々は住んでいなかったという。一方、最近はそうでもないという。
 これまで続いてきた住み分けには何か理由がありそうではある。

2.
 被災地写真では家々が倒壊している。明らかに、土やレンガでできているものばかりだ。
 おそらく、ネパールでは鉄やコンクリートでの人家というのはなかなかない。鉄が国内で作れなかったり、国外から輸入するには費用が足りなかったりするためである。この点、日本人から見れば驚愕なのではないか。

3.
 個々のネパール人は頭がよい人もいるのだが、彼彼女らがネパール国内で知的に活躍できうるのか、疑問に思う。停電が毎日、国内での新聞で発表されたり、公務員が賄賂を要求することが平気であったり、だそうだ。住みにくい。

4.
 震災前に出国したネパール人から、現地ではポピュラーだというお菓子のお土産を貰ったのだが、これは見た目が悪かった。このお菓子は、ウメのような実を干して、酸味を出し、それに砂糖を全体的にまぶしたものだった。食べてみると、小さな、砂糖をまぶしたスモモを食べてる感覚がした。まぁ不味くはなかったが、格別美味しいわけでもなかった。この実が1つのポリエチレン袋に入っていた。ちなみに袋にはヒマラヤ山脈の絵が描かれてあった。
 私はお菓子にそれほど興味を持たないのだが、日本でこういう包まれ方をしたお菓子は今の時代、ない気がした。日本だとひとつひとつ、ポリエチレン袋に入っていそうなものである。

5.
 お菓子の外観もそうだが、どうもネパールの建築物のデザインはどれもこれも自分の目から見ると美しくない。目が留まったのはこういう人工物でなく、ヒマラヤ山脈しかない。

6.
 ネパール人と日本語で話すのに困ったら、英語で話せばよい。これは、偶々日本にいるネパール人ばかりと話していて得られた経験だから、ネパール国内でのネパール人とは話が英語で通じるのかは知らない。
 英語は通じるが、おそらくこれはネパールが英国の植民地であったためである。国内で、元々あった現地の言葉を用いて、いろいろな分野での言語活動ができなかった時代があった。今もそうかもしれない。
 このことから、英語圏の先進国から見れば、ネパールは言語を取り入れ続けていかざるを得ない運命にあるように思えた。藤原正彦『祖国とは国語』という題名の書物があるが、ネパールは国語を失いつつある。いや、失って久しいのかもしれない。

7.
 ネパールから見て、インドと中国とに囲まれている立地である。今回の被災地支援に当たり、印中以外になぜか米軍が出てきている。

8.
 ネパール国王が数年前暗殺されたが、その暗殺犯が未だ不明だと言う。

9.
 鉄道路線が国内にほぼない。インドとを結ぶ鉄道があるが、これは国内向けのものではない。よって、国内ではバス、自動車、バイクが交通手段だという。
 これだと日本国内でもそういう地域がある。しかしネパールではこういうものが動けるための道路がない地域がたくさんあるのだという。
 なお、鉄道網を中国資本で敷設する計画があるとは聞いた。

10.
 地震の備えが、日本人から見れば甘すぎる。
 知り合いのネパール人から見ればこの度の地震は「80年ぶりの大地震」ということで「これほど被害がでても仕方がない」という論調だった。
 しかし、これには日本人には違和感を覚えるのではないか。ネパールにとって見れば、あの国の立地はインド亜大陸ユーラシア大陸との衝突でできたところに位置するし、地震が、有史以来云々どころか結構短い、人一人の一生で何度かは経験するスパンで頻発している。世界的に見ても、日本には及ばないものの、ネパールは地震国だと思う。
 ネパールは地震に対する経験がありながらそれの記録をろくにしなかったり、あるいは記録から対策を見出せても費用の点から実行できなかったりして、国内の人々は地震にはどうしようも出来ないと思うようになっている、という印象を私は抱いた。

11.
 そういう現状に基づいて復興策を練るとしたら次のようになるだろうか。
・ネパール国内における地震観測の更なる充実。
・ネパール国内での鉄やセメントの生産。
・国内生産が出来なければ、その輸入。
・生産または輸入のための資本の導入。
・生産または輸入のための発電または電力輸入(当然、これの輸入にも資本が必要)。
・住宅や施設を鉄やセメントを使って耐震化する。
・行政の腐敗の撤廃。公務員、政治家を清廉にする。
・国内輸送網の整備。
・人々の地震に対する備えの、充実。

 以上、思いつくまま書いたが、いかんせんやることが多すぎる。書いたことは発展途上国から抜け出すための方法の一部でもあるように思う。
 ちょっと援助物資を届けたぐらいでは、ネパールでは今後の地震に対する備えができようもなさそうである。中国やインドのような外国に頼ってみたところで、そのノウハウが国外で練られたものばかりになるというのもどうかとも思う。