フランス新聞社襲撃事件

1.
フランスの新聞社が襲撃された件について。
表現の自由を守れ」等のデモンストレーションまで起こったとのこと。

本来、この規範は対国家機構のものだったのに、いつの間にか色々な場面で使われている。また、それを、行政府の安倍首相が擁護して言っているシーンをニュースで見、奇怪な印象を覚えた。特に、特定秘密保護法の施行に至ったこの首相がよりにもよってかねぇという感じだ。私はこの法律は必要だろうと思う。一方、情報源を公開しないような法律は表現の自由を縛りはするとも思う。
ま、自分も首相の立場だったら、世論の反発を恐れてそのことには触れずに、「表現の自由が〜」とポーズを取る気がする。小者である。

2.
ところで、いつも思うのだが、表現の自由大義名分にして、何を言ってもいいのだろうか? この命題は表現内容を抜きにして語るべきなのかと思う。
それが許されるならば、万人が新聞にヘイトスピーチならぬヘイトクレームやらイラストやらを載せてもいいことになる。
そして、今回のフランス新聞社の風刺画を見たが、そういうヘイトを少々感じはした。偶像はない設定のイスラム教だが、預言者ムハンマドが笑いながら「鞭打ち100回の刑だ」と言っているという今回のイラストには、ムスリムに対しては重要人物の権威を軽んじさせる、イスラム教を単に馬鹿にしている、という印象が付きまとう。このような、表現内容の悪質さに因る「表現の自由」制約の問題が今回はある。
しかも、複数の宗教間やら民族間やらにおいてであったり、言う側がどのような過去を持ってきた立場であるか。こうして、さらにこの問題は複雑になっていると思う。決して、表現の自由論が生まれた当時の状況、つまり、善良な市民が、横暴を働く国家機構に対して文句を言うことから国家から弾圧を受けるのに対し、このテーゼを唱える状況と、今回の状況は異なる。

3.追記
 件のフランス新聞社が、今度は「私は○○である」とムハンマドが言うイラストを掲載した。なお、○○には、その新聞社名が入る。
 またも、嫌らしさを感じる。
 異文化の他人を馬鹿にしたイラストを載せ、襲撃を受けたが、その後どういうわけかパリでデモなどが起こり、一見自分達に大義名分があると感じての今回の行動なのだろう。
 どちらのイラストを見ても、私は何が風刺だというのか理解しかねる。内容そのものに、尊重する価値が見出されるのか?
 まぁ「守られている」という妙な安寧の下で、内容に価値がない悪ふざけをしても、反対を受けたら「表現の自由」を錦の御旗に立てて、誰かに守ってもらう。そういう、自分の責任を放棄させている感がする存在は、精神的には大人ではない、子供であろう。
 フランスよ、成熟を。