ラマダンが終わる

 私にはこれまでイスラム教徒の知人友人はいなかったのだが、最近、2人ができた。
 そのきっかけはそもそもの知り合いであったネパール人とバングラデシュ人が、「だんじき」という、およそ本人の日本語能力からは発するとは思えない言葉を聞かされたことによる。「だんじき」とは「断食」の意味である。そして、今はラマダンであるから日中は飲食をしてはならないことにしていると言ってきたのであった。なお、先に書いておくと、昨日でラマダンが明けているために2人とも通常に戻している。
 さて、ラマダン中、これは人によっては堪えるものであるようだった。その人は「子供の頃からの習慣だから特にストレスは感じない」と言っていたが、それは自戒の台詞のように思えた。ラマダンは年によって時期が変動するようだが、今年は6月から始まった。あなたは蒸し暑くなりつつある6月から昨日のラマダン明けまで日中、何も食べたり飲んだりしてはならない点に我慢が出来るのか。少なくとも自分はそういう環境を想像したことはなかったし、耐えにくいなと思う。
 その自戒をしていた人は、日が沈むとバクバクとまるで冬眠前の動物のように飲み食いしていた。そして、食べた物の品目を聞きもしないのに自ら私に話してきた。ラマダンの趣旨はよく知らないが、「食べ物に感謝する」という点では、自らの体験、すなわち意図的ながら空腹期間があることをもってして分かりせしめる点では単純かつ効果的な方法に私には思えた。
 話は変わるが、ラマダンが明けた直後、それは非常に楽しいものらしい。
 バングラデシュ人のムスリムの方は小奇麗な民族衣装を昨日、着ていた。その衣服は日本では売られていなさそうなデザインであり、その人は本国で買ったと言っていた。奇抜ながら、衣装のつくりがきめ細かい。細くて多数のひれのひとつひとつが時折光を反射し、何だか健康的な美しさを私は感じ取った。
 また、ネパール人のムスリムの方は明けからはパーティも開くと言っていた。バングラデシュの方も、そのために40時間今起き続けているとも言ってきた。
 以上のはしゃぎ様、精神的高揚から、ラマダン明けというのは現代の日本にある大晦日に該当する日ではないか。特別な服、パーティ、長く起き続ける、1年に1回という点でそう連想した。