経済英語

 先日、ネパール人の英作文がひどいという話を書いた。
 その話を後日、友人に話をした。なおこの友人は日本人である。

 ネパールと日本の各一般人がどういう場面で英語を使うのかが違うのだろうという話になった。
 ネパール人が英語を使うというのは商業、それも外国人観光客相手の小売りにおいてではないか、その際の英語とは英会話である。音声でのやり取りである以上、文法的に正しく読み書きできるのは二の次になるのではないかということだった。無論、正しい人も中にはいると思うが。
 私自身はネパールに行ったことはないが、確かに、ネパールでの英語の一番の需要はそこにあるのではないかと思う。もちろん、あまりにも出鱈目なものだと英会話にならないのだろうけれども、これだと英語での会話数は多くなるわけだ。
 しかし、例えば英単語のコロケーションやら自動詞に何の前置詞を使うのかやらといった辞書を使うことになる作業など(英和辞典のように、英語・ネパール語辞典というのがあるのかな)、調べる作業を抜きにしたままで、使う機会が多いことだけでは決してうまくはならない場面においては様相が異なってくる。その点で手を抜く人は、一見ある程度までペラペラ喋ることができるのだが、うまくは書けないわけだ。ちなみに、経済的に必要になってくるかといっても、その英語、いや英会話とは、日本の NHK が放送している「ビジネス英会話」のようなものでもないし、「ラジオ英会話」のような英会話でもない。うまく言えないが、日常的なレベルだが、何か日本で想定する日常レベルの英会話とはネパールのそれとは異なっているところが多い。
 一方、日本。
 英会話を外国人相手に展開しないと、経済的に本当に困ってくるという日本人はどれほどいるのだろうか。割合で、ネパールのそれを下回るという気がする。一方、おそらく多くの日本人にとって英語ができないと困るというのは、科目として教育で行われているから、高校受験の科目だから、大学受験の科目だからが正解なのではないだろうか。その教育や試験内容は色々と変わってきたが、有史以来、単なる外国人との会話を第一目標とすることになったことはない。正確な読みが中心か、近年は粗い読み方でも大分量の読みで良しとすることが中心かと思う。なお、「書く」が中心になったことはないとも思う。
 両国ともにいえることは、複雑な思考をする際に使われる言語はその国の言葉だという点である。英語ではない。正確に言えば、英語を使って考え抜くこともできなくもないが、その国の言葉の方がより複雑なことをより早く考え抜くのに適しているということか。