英語の音声に私が拘りだした契機と、その後で気がかりになりだしたこと

 最近、英語発音矯正にかれこれ1か月間ほど取り組んでいる。

1. 契機は、自分の英語発音がネイティブスピーカーにほぼ確実に聞き返されるから。いや、深刻なことに、台湾人のような非ネイティブにさえ通じなかったから。
 実際、アルファベットの「C」という単語の発音が、その台湾人の U 君には通じなかったのだ。何かしらほかの単語も含めた文章を言っている中で通じなかったならまだしも、単に「C」と言っただけででさえ、理解されなかった。偶々、職場環境でこの「C」という言葉だけを発することが私を含めて多いため、他の日本人も「発音」するのだが、同様に聞けなかった。しかしその発音は、当時の自分には「C」そのものに聞こえた。
 彼は、我々日本人に対し、 [síː] と発音しなければだめだと忠告してきてくれた。聞いた私は内心、何でそんなことすらわかってくれないのだろうと当初は思ったが、彼の言葉に素直に従ってその発音をしようと試みた。
 しかし、どうやって、 [síː] と発音するんだろう。なお、これを書いている今では左のように発音記号を使って書いている自分だが、この一件の直後では U 君の口を真似る以上のことを思いつかなかったと白状しておく。発音記号で書いている、いや、書けているのは、後に「C」の発音を辞書で自分で調べたためである。
 さて、そんな「C」であるが、英和辞典で [síː] と発音すればよいと分かった後、どうやって発音すればよいのか、たちどころに「分かった」ような気がした。 発音記号を「読めた」、より正確に言えば、この3文字の発音記号を見ただけでどういう発音をすればよいのか即理解したつもりになっていたわけだ。今にして思えば、この記事の写真の吉田戦車の漫画のような可笑しみ、引いてはミスを私は犯していたのだが。

 ここで、どう発音するべきかはっきり言おう。
 [s] は、「舌の先を上の歯茎に近づけ、その隙間から『ス』と息を出すときの音」(『ルミナス英和辞典つづり字と発音解説』14頁より)。
 [í] は、「語の終わりでは長めで弱い『イー』」(同書10頁より)に、アクセントをつける。
 [ː] は、その直前の音を伸ばす
というものである。これらを順にゆっくりと行って発音すると、進むにつれて口が、縦方向に比べて大きく横に広がっていくことが体感できると思う。
 一方、日本語の音ばかりだと、「C」は「シー」と言えばいいんじゃないか、と大方思っているものと思う。しかし、「シー」では明らかに口が横に広がっていくことはない。なお、日本語の「シー」に対応するような発音が英語音にあるかは、今これを書いている自分には不明。
 この発音記号の読み方を知ったのは、偶々後日本屋見かけて買った、前述の『ルミナス英和辞典つづり字と発音解説』で該当箇所を読んだためたった。

ルミナス英和辞典―つづり字と発音解説

ルミナス英和辞典―つづり字と発音解説

非常に安い本だが、ほぼ、発音の説明のみ書かれている。この点は、書かれてある意味が分かれば「簡潔でよい」と思うのだが、分からなければ「もうちょっと解説してほしいな」と思う。でもまあ、こういう買い求めやすい値段で、この分野(後で音声学というものだと知った)の知識がある人が正しいことの普及に努めるという点は重要だろう。

2. さて、こうして自分にとって少々苦労した「C」の一件は一件落着した。しかしその後、今もなお気がかりなことが出てきた。
(1)ネイティブに発音を習うことについて。
 自分の英語発音はどれほどこれまでに矯正されてきただろうか?日本には巷には英会話スクールがたくさんあるし、中学高校には自分の場合、英語圏ネイティヴが必ずいた。しかし、彼らがどこまで、こちら側の、日本語なまりの英語の発音を矯正しようとしてきただろうか。今回の台湾人の U 君(非ネイティヴだけれど)ほどの動きはしなかったのだ。つまり、おそらく日本在住のネイティヴは、この日本語なまりの「英語」の発音にもう適応してしまっていて、違和感を当初は感じたのかもしれないが、もう既にそういうことは忘れがちであるのではないだろうか。
 直してほしかったなと思うが、逆に自分が英語圏ネイティヴだったらどれほど熱心に取り組むだろうか。英語ではないが、外国人の話す日本語を大なり小なり日本で聞いてきてこれまでに至ったことを思い起こせば、先ほどの「適応」は当たり前にさえ思う。幸か不幸か、それは非ネイディヴの U 君でさえも、今では日本人的「C」に慣れてしまっており、「適応」してしまった!
 とすると、日本にいてそれなりの給与なり報酬なりを与えてまでネイティヴと英会話をするというのは少々、注意を要してくると思うのだ。会話内容そのもののネタは無尽蔵にある。すなわち、端的に言えば、知らない単語は尽きない。かつ、発音は矯正されないままになっているとしたら……。お金と時間を捨てるだけになりやしないか? 逆に、英会話能力を高めるのであれば、この逆を戦略としてとればよいということになるのかもしれない。すなわち、あれこれと話題に飛びつかずに絞り、その分野の語彙を豊富にしておく。その一方、発音矯正をしてもらう、ということになろうか。
 だが、しかし。まだ問題がある。それは、おそらくネイティヴに発音矯正を委ねるのは難しいと思う点だ。
 日本語を例にとってみればよい。自分はどれほど、日本語発音に詳しいだろうか。もうそんなこと考えたことないぐらい、無意識に口を動かしているだけではないか。だから、非ネイティヴがどうしてネイティヴの発音をできないかをネイティヴは診断しづらい可能性が高い。
 そういうわけで、発音矯正を含めた英語のスピーキング・リスニングの能力を高めたかったら、まずは、日本人の音声学のプロが書いたものに従うことが近道なんだろう。それで矯正する。ネイティブと話すのはその次、と僕は思う。
(2)日本人の英語の先生の発音について。
 正しい発音の授業なんてあったかなぁと思いだそうとしてみるが、中学高校のときになかった。
 無論、英文法や英作文や英文解釈の授業はあった。後は、高校のときには、今にして思えばよく存在意義のわからない英語圏ネイティヴと簡単に話し合う「オーラルコミュニケーション」というのがあったが、強いて言えば、発音はそれだけであった。リスニングの試験だけはまぁそこそこあったが。
 しかし、今にして思うと、この手の「英語」の先生全員、日本語なまりだったよ。
 中高校教員だけではない。最近、発音が気になりだした中で聞いた、ある英語のNHKラジオ放送の出演者の発音ですら、結構日本語なまりだなぁと思わざるを得なかったことがあった。聞いたら、その人の話す英語の締めにはほぼ必ず、母音が来ているから。でも、聞いたことのある大学の出身かつ現役教員だし、英語の翻訳ということで英語を専門にしている人なのだけれども、語彙力豊富そうなそういう人でも音声学という点ではよろしくない、意識的に音声能力を高めていかないといけない、ということなんだろう。