価格統制業界

 昨晩、よく行く銭湯の番台の方と銭湯の料金について話した。知らない人もいると思うので一言書いておくと、銭湯は価格統制がされていて、その入浴料金はその所在の都道府県が決定するのだ。
 自分の関心は、銭湯経営者が他人に価格をすっかり決定される中で経営なり労働なりの意欲がわくのかということだ。
 価格が他人に決められるというのはそれなりの社会上の理由があるのだろうが、いざそれが生身の自分に置かれた環境であるとなると厄介と感じられる。そう思ったため、その関心事を店主にぶつけてみたのだ。
 ただし、その場ではこちらからのその質問は、その内容に続けて、「価格が統制されているから、中には漫然と経営するしかなくなってくる経営者もいるのでは」と訊いたために、その店主の回答は後者の方にのみのものだった。果たして、「そういう銭湯はつぶれていく」だった。まあそうだ。

 自分の方を省みれば、これまで自分はいつの間にか、働けば働くほど儲かるという環境下で働いてきた。無論、それが他人によって設計された人工的な環境ではあるのだが。労働対価を自分自身がその代金を出す方と交渉したということは全くないわけではない。また、対価が低いなと思ったらそれは辞めた。しかし、自分が真の経営者としてすべて決定したことはない。
 対価、評価、成績。そういう他人から出される判断方法そのものに己がどこまで内実決定できるか。その観点から人間が分類できると思う。自分はそこでどう立ち振る舞いたいのか。