福沢諭吉、夏目漱石、新渡戸稲造。

 日銀旧紙幣の肖像画福沢諭吉新渡戸稲造夏目漱石の3人だった。
 この3人はいずれも英語に関わる人生を少なからず歩んだ。しかし、3人の英語学習、英語受容は大きく異なる。
 福沢諭吉は、英語文書を英訳するだけで終わったといってよい。確かに米国を訪問し、現地の米国人と話をしたが、それ以降も継続的にあったのだろうか。また、後述の新渡戸のように、福沢が英語で自分の考えを対外諸国に示したということもないと思う。
 夏目漱石は英語講師。そして英国留学もした。しかし福沢同様、自分の考えを英語で示したわけではない。なお、『方丈記』の「ゆく川の流れは絶えずして、いきかふ人もまた旅人なり」を漱石和文英訳したものを見たことがあるが、下手だった。
 一方、新渡戸稲造。彼は他二人と違い、英語で自分の考えを専ら示す人生となった。英文を読むと漱石のレベルをはるかに超えている。それを支える英語勉強量も違うだろうが、他二人とは英語で事をなさざるを得ない環境にもいたのだし、他のように英文和訳だけとは違う学習となったと推測する。ちなみに、日本人にはこの3人の中でその著作が最も読まれてはいない人ではある。

 他にもいろいろと書きたいのだが、時間がないためここで書きやめることにする。