重光葵『昭和の動乱』

昭和の動乱〈上〉 (中公文庫BIBLIO20世紀)

昭和の動乱〈上〉 (中公文庫BIBLIO20世紀)

 重光葵『昭和の動乱(上)』を先日読了。(下)もあるが、こちらは今読み進めている。
 (上)のみの感想だが、まず文章が美しい。当時の文章家らしい、ドイツ語の影響を受けたような、長い長い一文ずつで書かれてはいる。読み難いと言えば読み難い。一方で漢語の影響も見られ、そのせいか、凛とした文でもある。
 内容についてだが、しかし、これは何度も感想が変わるほどの内容を持つ本である。私は本書を1回では読みつくせない。よって、箇条書きでつらつらとしか今は書けない。
・外交上の話題にとどまらず、当時の国内情勢、海外情勢、また日本軍の政治に対する干渉が詳しく書かれている。そして、過去から未来へ時間が流れる形式で、これらの関係を重光は論じ、その上で、彼の考える日本外交のあるべき姿が徐々にとられなくなっていく様子が書かれている。特に、当時の軍事状況がどういうもので、それがどう外交に影響していくかは自分は不見識だった。本書は私にその観点をもたらしてくれた。現在の自衛隊よりも影響の大きかったであろう当時の日本軍の国内でのプレゼンスをよく知らずして、戦前の日本はよく分からないのかもしれない。
・軍部が政治に影響をする点について。考えてみればそういう国は海外にたくさんある。しかし、その厄介さがいかなるものかは、今の日本では悪い意味で実感しにくい。無論平和なのだから、そういうものは味わない方がいいのだ。本書により、戦前の日本軍の国内での権威とそれによる政治干渉への厄介さを感じてみよ。その感覚が、現在の軍事優先海外諸国での人々の精神的状況のまずさを追体験する礎になると思う。
二・二六事件。これは有名事件だ。しかし私が知らなかったのは、当時、アフガニスタンとタイからの日本大使が事件発生後に重光のもとを訪ね、東洋の先進国たる日本でこういう野蛮なテロリズムが発生してしまったことは日本のアジアにおける権威を貶めるものだとして彼らが泣いた、という記述であった。重光はそういう彼らの態度に感激している。現在の、日本に対するアジア諸国からの評価は、こういう点からは少ないのかもしれない。本文を読み、そういう当時の日本の権威が私には斬新に思える。
・中国。これも、重光はよく当時の中国国内状況をよく描写し、その上で、その関与を日本が結果的に当て所なく深めていき、それが中国だけではなく海外からの不信を買ってしまっていく点はよく書いている。話は変わるが、昔、戦後になって、外務省が新人研修に講師として吉田茂を呼んだところ、吉田は壇上で「日本にとっては中国問題が何より重要なのです!」とだけ言って帰ってしまった、という逸話を聞いたことがある。聞いた相手は何のことかわからなかったという。この逸話を聞いた私も、何を言わんとしているのかさっぱりわからなかったが、重光のこの本はその吉田発言理解の糸口になりえないか。本書を読んでいると、中国国内での反日問題を解決したいがために、日本政府、いや、既に政府を管理下に事実上置き始めた日本軍は、当時の対ソ連包囲網の一翼になりえてほしいとして日本に協力を求めたナチス・ドイツの応援、引いては同盟と突き進んでいく感がする。これは現在にも通じよう。対日強硬的な中国にどう対処していくかに当たり、その解決に当たって他の外国とどう連携するか。日本単独だけでは、場合によっては中国の態度は変ええない。
・中国その2。反日だけに限らず、当時の国民党軍の反海外諸国闘争は相当なものである。相当中国国内にいた外国人は略奪やら虐殺やらの憂き目にあっていく。私の勝手な印象だが、こういう事件は日本では右翼と称される人々がよく取り上げる。だから、そういう連中が嫌いな私はあまりこの手の話に明るくはなかったのだが、重光は詳しく逐一書いてはいないものの、通史的な理解だけでも読んでいると、中国の怨念がこもった活動には怖さを覚える。
重光葵の遭難したテロリズムについて。重光はあるとき、中国で片足をテロリストの投げてきた爆弾で失うことになる。これは知っていたが、本書にはこの記述が随分とあっさりとしか書かれていない。なくなったことに何か慟哭したり私怨をもったり、と誰もが書きそうなことを重光はひとつも本書では書いていない。一方で、例えば当時の軍部や政治家に対する重光自身の不満や嘆息はしっかり描かれてある。この態度の違いから、重光の精神的タフネスを感じはしないか。