論理

言葉の意味ずらす、今の政治 批判逃れの「見事な技術」
http://www.asahi.com/articles/ASK7X56MMK7XUCVL01J.html

 昨日偶々、野矢茂樹『大人のための国語ゼミ』(山川出版社)を買って読んでいたところ、野矢氏が現今の政治家の発言に対する論理的ミスを多数指摘する新聞記事を読んだ。
 以下、それについて思ったことを書く。

 論理が身についていることは重要で、私は自分が十代のころからそれが身についた話や考えができるように自分に注意してきた。今はそれから多少ましになった。しかし、この新聞記事にでてくる政治家は御年六十代以上の方々ばかりだということに不安を感じるのである。そういう言動の修正を図ることを彼、彼女らは今からできるのだろうか。意識的なトレーニングを自分は必要としたが、その経験に鑑みると、彼ら彼女らがその研鑽を積み、それを政治に活用していくには数年間を要する気がするのである。もっとも、安倍だの菅だのにそういうことを毛頭する気さえないとは感じる。
 これは余計だが、そういう予感が拭えないため、現政権に対して私は信頼していない。なお、わざと論理的ミスを連発させている可能性もあるが、これはこれでスポークスマンだのの職務に背信的だと思う。これもあり、結局現政権不信任となる。

 ここから違う話を書く。
 論理の効用の一つは人への説得だと思うが、それに過信してはならない。<人への説得>ということには多数の寄与因子があることを私は経験した。例えば、極端な例ではなく、その人がそもそも嫌がられているから、などさえある。