直しようのない犯罪者(スタブ)

 刑罰の目的について、懲罰、制裁のためと教育のためという議論が刑法の講義であったように思う。この2つの目的を初めて聞いたとき、後者はどこまで可能なんだろうかという思いがした。

 さて、そのときから随分経った。当時、自分の周りには矯正しようのない人間なんていたのかもしれないが、今となってははっきりと「矯正不可能な人間がいる」と感じる。どうしようもない連中は確実に存在する。

 私にそう強く感じさせたのは、あるアパートに住んでいたときにそこの住人として知り合ったある姉と弟の2人である。
 最初、姉なる女しか自分の周囲には住民としていなかった。姉の第一印象は親切な人だというものだった。実際、その女の実家から送られてきた果物やらを一部いただいたりもした。
 しかし、である。しばらくして変なやつだなと思い始めた。この女は私の部屋のすぐ近くにあるアパート共用の水道蛇口2つのうちひとつに自分専用の洗濯機を取り付けたのである。今でもそのアパートでは住民各人は洗濯機を取り付けられないようなつくりの部屋に住んでおり、洗濯はコインランドリーを利用している。今ならば即刻強制的に外すのだが当時は私自身が引っ越してきたばかりであり、その理由を穏やかに聞いた。答は「最近近くの銭湯で利用していた女湯内にあるコインランドリーがその銭湯廃業のために使えなくなることが分かった。女性である私が男女共用であるのが普通のそこらのコインランドリーを使うことは自分にとって気持ちの悪いものであり、かつ自分が女性だと下着の盗難などに気を遣わなければならない。そういう事情から管理人Nに自分専用の洗濯機の設置許可を求めたところ、承諾された。だから、実際においたのだ」ということであった。
 聞いていて呆れてしまった。今思うと、強固に反対するべきであったが、当時も今もそうだが私はあまりにも呆然としてしまうと何か喋る気が失せる性格なのである。そしてその様子を、そういうことを言う阿呆の一部には「納得してもらった」あるいは「言い負かしてやったぞ」と勘違いされてしまうことが時々経験してきたのである。そのときもこの自分の悪い癖が出てしまった。ただし、当時は洗濯事情でお困りのことは尤もでもあるししょうがないかなと、相手の真の性格を知らなかったから思ってしまった。

 そうして住み始めるようになってから3,4ヵ月後。突然、管理人Nが自宅で逝った。Nには身寄りもなかった。したがって一時はそのアパートの所有権者は誰なのか宙に浮いた状態になった。当時、アパートの管理はこのNが単独で行っていたため、このNの死亡により、アパートは住人は混乱し、皆で話し合って自分自身で突如、自警することになった。
 ちなみにこのNにも私はよい思いはしたことはなかった。東大出身でもなくどこかの私立大出身のくせに何だかやたらと東大が至高の存在であるかのように語り、かつ自分がこの大学出身であるかのように自慢した(まあ、東大好きな人は東京には多いのだが)。また司法試験浪人を何十年(!)も続けた結果培われてきたであろう変なプライドがあったからだった。アパートは相続の結果によるものであり、まぁ自分が勤めたり経営をしたりした経験のなく不労収入で食ってきただけの人間であった。一族の人間とは疎遠、仲が悪いことを本人が語っていたため、死んだところで一族の人間は困らなかったかも。

 さて、そのNの死後、この女の言動のおかしさは顕著になった。
 まずやたらと夜中もうるさい。午前2時にエレクトーンを弾いてみたり、のこぎりや電動ドリルで木材を切ったりなど平気でやるやつであった。作曲やら日曜大工が趣味なんだとかで、しかし真夜中でもやるのである。
 また、勝手にアパート敷地内に自分の私物を置きたがる。私物といっても、スチールラックなど、お店で買ったようなものだけではない。自分の作成した芸術作品まで置き始めた。芸術作品……というべきかは不適切かもしれない。一応、何らかの展示会で本当に出品したものなのだそうだが、私は後に片付ける要注意をすることで本人から説明を受けるときにそういう旨のことを知る前まではガラクタとしか思っていなかった。このガラクタは注意後に本当に片付けられたと思ったが、2年後に意外な形で再び見えることになる。

 当然、注意した。最初はNの死後に新しく登場してきた管理人Yを通じてそうしたが、言っても聞かなかったために私が直接出向いた。なお、このYは後で大問題を引き起こすことになるが、このときはまだ全くそんなことは知らなかった。

 のやったことといえば、現住建造物侵入、強要、暴行、詐欺である。これらの行為の一部によりこちらに実害があったために、私は警察を呼ぶという経験も初めてした。その後、警察を呼ぶことは4,5回これまであったが、その対象はいずれもこの姉弟に対してである。
 ただし、こんな110番通報という反応をするまでに、私としてはこの姉に相当説得を試みた。もっとも、後の今となってはこのような説得は全く不要な試みでしかなかったのだが。