マニフェストは信任されない

 ときおり疑問に思っていたことなのだが、国でも地方でも議会議員やら首長やらを有権者が選ぶにあたり、何を手がかりにして投票するべきなのであろうか。
 マニフェスト、選挙公約、そう言われるものであろうか。
 しかし、である。これは単一のものではなく、複数の要素から成る。それが仮にn個あったとしよう。そしてそれらの一つ一つに対し、有権者はこれは賛成できるまたは反対であるというように明快に判断できるものとする。その際、どの要素に対する判断も別のどの要素に対する判断に影響しないものとする。
 すると、このマニフェストに対し、2^n 通りの判断が出来る。
 さて、 n=1, 2, …… と増えていくにつれ、判断の数は指数関数的に増えていく。例えば n=10 としたら 2^10=1024 通り。n=20 としたら 2^20=2^10×2^10=1024×1024≒100万。n=30 としたら、10億と近似出来てしまう。
 これほど解釈が分かれてしまうにも関わらず、候補者や政党は結構な数のことをマニフェストに書いてくる。しかし投票する方としては、抽象論の方はともかく具体論では賛成したり反対したり選択が分かれてくる。にも拘らず、結局、候補者名やら政党名やらを書くだけしかできない。その際、マニフェストの個々の要素に対する判断としては反対であるようなことがありうる。というよりもそれが全くない方が不自然でさえある。私自身、振り返ってみても投票する事前にマニフェストを読み、すべて賛成ということはいつもなかった。結果、マニフェストが信任されるということはありえない。
 結局、マニフェストに拠るのではなく、投票者である自分は何に基づいてどうしたらよいのだろうか。かつて「政治とは悪さ加減の選択である」と言った人がいた。このように、マニフェストの内に多少、反対論があっても無視して総合的に最善であった候補者や政党にしようと考えるしかないのではないか。しかし、どうやって切捨てをしていくべきか。何が善い・悪いのであろうか。これは残念なことにその都度、自分の経験や知識を持って判断していくしか術はないように思う。