外国人の英語

 別にそこまで英語を使えるわけではないが、数か月前から私は、日本人でもなく、かつアングロサクソン人でもない国の人の使う英語について思うところがあった。ここではそれを書く。

1.ピケティの英語の話し方
 異様に売れていた『21世紀の資本』の著者、ピケティ。以前、NHK でのインタビューに対して彼が英語で答えるところを映した番組を見たことがあった。結構、フランス語なまりである。MIT での先生でもあるのだし当然にして英語で話す機会が多いと思う。しかし、話す機会があっても発音はなかなかアングロサクソン人のようにはいかないもんだなと思った。自分も発音に気を付けるように以前に比べるとなっているのだが、限界を感じもしてはいた。そういう時に見たこの番組は、それを示したように思った。そういえば、イラク戦争開戦に反対していた当時のフランスの外務大臣が話す英語も、ピケティに近かった。1000年以上ある隣国の教養ある人でも、あのレベルで終わるということか。

2.ネパール人の英作文
 また、ネパール人である。
 彼らの平均レベルの英会話能力は、日本人のそれよりも高いなとは思う。
 しかし、である。
 10名ほどが各々書いた2,3文から成る英作文を集中的に見る機会が先日、私にはあった。実は今回が私にとって初めて、非アングロサクソン人の書く英語を読む機会となった。
 その感想だが、全員例外なく文法的誤りおよび単語スペルミスを続出させ、その上書かれた内容そのものに浅さを感じたというものだ。「浅い」となると、語彙は限られている。
 こういう文法的誤り、単語スペルミスは自分で意図的に調べていかないと直っていかない性質のものだと思う。先ほど、ネパール人の英会話能力は日本人のそれよりも高いと書いた。その高さはおそらく、英語を音声のみで学習してきた結果なのだと思う。また、そのことにより、あまり会話では使われない、むしろ書き言葉やら文語やらになると、ネパール人の能力は低い。これが先の内容上の「浅さ」の結果を生む。なお、私は別段、音声による学習を否定していない。それのみの学習というのを否定しているのである。
 ちなみに読解の点は知らないが、作文の語彙の拙さに鑑みれば、英文読解も大したものではないと思う。なぜかというと、両能力には相関関係があると思うからである。一方のみが低いというのはおかしいと私は常々考えているが、今はそのことについてこれ以上は触れない。
 話題がそれ、ふと何となく今思ったのだが、英米の植民地になり、今なおその精神的傾向がある国では、こういう形の英語学習が幅を利かせているのではないかと思う。ちなみに日本語学習においても彼らはそのやり方で学習してくるように思う。つまり、一定レベルまでの会話は通じるが、作文ないし読解はダメ。そして、きちんとした日本語を使ったり、内容が複雑なものになったりすると会話でもダメ(といっても、それはNHKの番組で使われているようなレベルの日本語だ。だから、私はよく、ネパール人ら外国人にはNHKのウェブサイト閲覧をよく勧めている)。英語でも日本語でもある程度以上の会話においては話し言葉よりも書き言葉を使う頻度が増してくると私は彼らに説明しているのだが、彼らの顔から察してどうもピンと来ていないようではある。