「高校教育でコサインを教えて何になる」

 この類の発言は時々出てくる。かつて、曽野綾子という人が教育を論議する場で「二次方程式の解の公式」が「自分は使わない」のだから何になるのだという発言をしたこともあった。
 これらは程度の低い発言ですね、で済ますこともできよう。
 高校数学の実用性レベルの話をするのであれば、「だったら、確率や統計をもっと教えたらいいんじゃないですか」などと出てきたらまだ建設的なのかなと何となく考えてみたが、それはそれ。使わないから使う知識の方をもっと教えたらいいというのは体系を知らない証左なので、これはこれで良くないのである。
 話を戻す。自分が二次方程式三角関数に触れないからといってそれを否定する発言を公の場でするのは止めていただきたい。発言する前に、インターネット検索でもいいから、少しは、これらの知識をベースとしてどういう知識的広がりが出てくるかを調べてから発言してほしい。なお、こういう発言をするにあたり使用していたマイク等の道具、いや自分がその場にいた建物等はいずれも設計するにあたりこれらの知識が必要なのだ。
 ちなみに、こういう発言が出てくるにあたり、自分が道具の作り方を理解していないからその手の無知を前面に出してくる発言が出てくる、いや恐ろしいことにそういう方向に自分の考えが規定されていく点に気が付かない点も愚かである。道具を作った人は利用者のすべてにそういう知識が必要だということを気が付かせないように作っており、それを長年意識してこなかったために、不必要発言が妥当なものにその間思えてきたのだろう。
 三角関数やら自然科学知識やらの特徴だと思うが、これらが技術に活かされて普及した時にはそういう知識がない者でも技術自体は使えるようになっているという点に気が付いていないのも痛々しい。