シリア難民

 ヨーロッパへのシリア等からの難民ニュースが続いている。その率の観点からみて受け入れが不十分な状況が露呈しているわけだ。一時期、難民の大本命のドイツの首相が、受け容れ用意がなされているような発言をしたが、すぐにこの首相はそれとは異なる行動に入ったようにも見られた。ただ、命がかかった多数の難民には申し訳ないが、これは仕方がない気がする。

 だが、私の今の関心はそこにはない。
 うまく入国できたと喜ぶ人々には気の毒だが、受け容れた国々の国民はこの大規模な難民受け入れをどう思うのだろうか。私の関心はその点にある。そこに明るさがない気がしなくもない。

 今年よりもはるか前に第二次世界大戦後、ドイツはトルコ人等を受け容れてきた歴史がある。ドイツでは最初は受け容れに寛容だった人もいたようだが、嫌悪も高まっていったようだ。つまり、排外的にも一方でなっていったわけだ。トルコ人の住居に放火し、焼け落ちる住居の「見物」に訪れた野次馬を相手に火事の現場で臨時の飲食店屋台が設けられたという話さえもあった。
 無論、たいていの人は「これはいけない」と思うわけだ。しかし、文化、習慣の異なる人々が一度に大多数来られ、次第に様々な権利主張を既存の国民に対してなされても、これは既存住人には困る事態に見えるだろうとも思う。なぜか。既存の国民の方の心理で受け容れがなされていないだろうから。せめて、わずかな量の人々が来るならともかく、従来の量を超えた状況では受け容れ縮小を思う点に共感はできる。
 ただし、移民と難民とを混同するべきでもなく、今回の中東からの人々は難民なのであるから、将来、「帰国」することになるはず。つまり、いつかは自分たちの国からいなくなるはず。また、それまでの状況に戻ることが約束されているようには見える。しかし一時的にいるだけだと分かっていても、その間、難民が職を現地で得て働き始め、その所得で買い物をして……などと生活をはじめ、現地国民と接触はするのだ。また、単に一時的に収容されているだけでとどまっても、その滞在費用は誰が負担するのか。人道支援なのだからそういうことには頓着するべきではない???
 結局、受け容れ国の首長はもちろん、既存住人への負担、特に心理的負担をいかに和らげるか。この点が、難民にせよ移民にせよ、あまり報道されない隠れた観点だと私は思っている。