余談その2

 それにしても、戦前日本がどういうものだったのかが最近、気になり続けている。何でだろう。

 重光の本は編年体形式をとっているからか、ときどき、小見出しに昭和の年号も付されている。それを見ると、祖父が生まれてから何年が経過したかをいつの間にか私はチェックしている。この数年前に逝去した祖父は1929年の生まれだった。16歳の時に1945年の敗戦を迎えたことになる。よって、私にとって重光の本は、当時の祖父が置かれていた世界を間接的に伺う資料となる。
 生前、祖父は太平洋戦争のことが気になっていたようだった。それはもう敗戦から半世紀を超えてからもそうだった。中国や朝鮮に対し日本が罪を犯したことを自分としては認めていた。もっとも、孫である私の前でのポーズだったのかもしれないが。一方、確か、祖父の家に『戦史』と書かれた本があった。第二次世界大戦の日本軍の状況をはるか戦後にまとめた分厚い本だった。そういうものを所蔵しているあたり、結局逝去するまでこの大戦への関心は持ち続けている点がうかがえた。

 そういう祖父のような人間が、当時の日本を動かす人々の戦略にどう影響されたのか。悲劇的に虐殺等されていった者は無数にある。しかし、その犠牲者に起こった悲劇は、先達による誤れる中国大陸進出、特に現地中国人一般の反感をかってしまっていたことがベースにある。通州事件https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E4%BB%B6)などを見てみよ。確かに蛮行の範疇にさえ外れるような行動が中国人にとられたのだが、その行いを蛮なるものと化させたのに日本が何も要因たり得ないというのは正しくない見方であるとも私は感じる。

 翻って現代。ひとつの会社なり、あるいはそれよりはるかに組織員の多い現在の日本なり、それらを動かす人々の戦略が、現在の私達にどのようにして影響してくるのか。現在を生きる私達には何が戦略としてとられ、どう影響してくるのか予測しづらい。これは証明不能な原理として認めていいと思う。しかし、現在の私達には、過去のことを知って、現在に通じるようなパターンを見出す、ということができる。「歴史を学べ」という主張の理由とはこういうものかもしれない。

 こういう、現在をよく読もうとしたい、そしてまた過去の悲劇のような出来事は起こるべきではない。この考えが今の私の心の奥底にあり、最初の一文に書いたような気にさせるんだろうか。